藤波朱理(ふじなみあかり)選手は、パリオリンピックで優勝したレスリング選手です。
対戦相手は世界ランキング1位の、ルシア ヤミレト・ジェペス グスマン選手でした。
強敵といえる存在に、藤波朱理選手は勝つことができました!
藤波朱理選手は今回の試合で、137連勝で負け知らずの選手です。
なぜ藤波朱理選手がこんなに強いのか、それには2つの理由があると思います。
1つ目は父俊一さんの支えです。
俊一さんは藤波朱理選手の4歳からレスリングを教え、パリオリンピックに導きました。
2つ目は、東京オリンピックに出場できなかった悔しさがあるといえます。
参考記事:藤波朱理の父は俊一!3年前に金メダルを確信し日本体育大学コーチに
藤波朱理が17歳の時に東京オリンピックが開催
藤波朱理選手は2003年11月11日生まれです。
東京オリンピックは、2021年7月23日〜8月8日に開催されました。
藤波朱理選手は当時17歳。
高校生では東京オリンピックに出場できないのでしょうか?
実は高校生でも東京オリンピックに出場が可能です。
なぜ藤波朱理選手は出場しなかったのか気になりますね。
年齢制限で出場できなかった
東京オリンピックに年齢制限はありません。
しかし、日本レスリング協会が定める日本レスリングルールでは年齢制限があります。
20歳以上でないと、東京オリンピックに出場することはできません。
当時17歳の藤波朱理選手は、出場条件を満たしていなかったんですね。
年齢制限のあまり、現在開催されているオリンピックに出場できない。
それはとても悔しかったと思います。
東京オリンピックに出場できなかった悔しさが、藤波朱理選手を更に強くしたのかもしれません。
藤波朱理の世界ランキング
藤波朱理選手の世界ランキングは4位です。
2024年3月の時点では53㎏級で1位でした。
世界ランキングの順位は、ランキングを決めるために大会に出場し、その大会で何位だったかによってポイントが与えられます。
そのポイント数で順位が決定します。
順位が下がった理由は
・2024年1月以降にランキングを決める大会に出場していない
・他の選手が藤波朱理選手よりポイントを得た
ためだと思います。
決勝戦の相手は世界ランキング1位
世界ランキング1位のルシア ヤミレト選手は、エクアドルの選手です。
2021年1月時点では、世界ランキング3位でした。
藤波朱理選手選手と、ルシア ヤミレト選手とは互角の実力だったといえます。
お互い世界ランキング1位を獲得し、パリオリンピックという舞台に立った。
世界ランキングを見ると、ライバルと言えるような関係だったのかもしれません。
藤波朱理の父親
藤波朱理選手の父親は俊一(しゅんいち)さん。
1985年と1986年の国体で2連覇の経験がある、レスリング選手です。
現役を引退後、高校教諭になりレスリング部のコーチになりました。
その後、レスリングチームを開設。
朱理さんと共に東京へ上京し、専任コーチになります。
お父さんがコーチになってくれて、一緒にパリオリンピックを目指してくれたこと。
こんなに嬉しいことはないかもしれません。
参考記事:藤波朱理の父は俊一!3年前に金メダルを確信し日本体育大学コーチに
ソウル五輪日本代表候補
父俊一さんは国体で2連勝の経験があるので、1988年のソウル五輪も目指していたと思います。
日本代表候補になりましたが、惜しくも日本代表にはなれませんでした。
ソウル五輪の悔しさから、次世代を育成する教育者としてレスリングを指導したのかもしれません。
その証拠に、俊一さんは藤波朱理選手以外に多くの選手を世界へ導いています。
・東京五輪優勝 高橋侑希選手
・東京五輪銅メダル 藤波勇飛選手(長男)
・アジア選手権優勝 弓矢健人選手
・世界選手権優勝 成國大志選手
全員俊一さんがレスリング部のコーチを務めた、いなべ総合学園高校出身の選手です。
レスリングチームを開設
三重県いなべ市で行われている、いなべレスリングチームです。
幼年から小学生を対象に、マット運動を中心とした練習を行っています。
藤波朱理選手の兄勇飛さんが、いなべレスリングチームで練習をしていました。
その影響か藤波朱理選手は、4歳の時からレスリングを始めています。
家族がレスリングをしていたら、日常に感じて自然とレスリングを始めたのかもしれません。
日本体育大学のコーチ就任
高校教諭だった俊一さんに、日本体育大学からコーチのオファーが届き就任しました。
藤波朱理選手は高校卒業後の進路は、日本体育大学に進学するため娘の指導を継続したい!
そのような気持ちもあって、高校教諭を退職したのだと思います。
日本体育大学は東京にあるため、上京が必要でした。
二人でアパートに住み、食事管理も俊一さんが行うことで藤波朱理選手の手助けをしました。
父俊一さんは、自身の人生を娘と共に歩む道を選択したんですね。
二人で挑むパリオリンピック
藤波朱理選手は8月8日に行われたパリオリンピックで、世界ランキング1位の選手が相手でしたが見事優勝しました。
勝利後は父俊一さんに、抱きつき喜びを表しています。
インタビューで父俊一さんを「一番感謝したい存在」と答えています。
世界ランキング1位の選手に勝てたのは、父俊一さんの存在が大きかったといえます。
ぶつかり合うこと、ケンカすることも多かったですけど、やっぱり父がいなかったらここにはいないと思うので、本当に一番感謝したい存在です
Number Web
まとめ
・藤波朱理選手は年齢制限で東京オリンピックに出場できなかった
・世界ランキング1位の対戦相手に勝利した
・藤波朱理選手の父俊一はソウル五輪日本代表候補
・藤波朱理選手のコーチは父俊一
2024年パリオリンピックでは、見事金メダルを獲得しました。
次のオリンピックは2028年、ロサンゼルスで開催されます。
藤波朱理選手が再び金メダルを獲得できるよう、応援していきましょう!