2024年パリオリンピック自転車競技の日本代表である梶原悠未選手。
2021年東京オリンピックも日本代表として出場し、女子オムニアムで銀メダルを獲得しました。
そんな梶原悠未選手は4人家族で、父・母・弟がいます。
今回は梶原悠未選手の家族について紹介します。
参考記事:梶原悠未は年収1000万円|5つの収入源で断トツはスポンサー
梶原悠未のプロフィールと家族
梶原悠未選手は4人家族で、父・母・弟がいます
基本プロフィール | |
名前 | 梶原悠未(かじはら ゆうみ) |
生年月日 | 1997年4月10日 |
年齢 | 27歳 |
身長 | 155cm |
血液型 | O型 |
出身地 | 埼玉県和光市 |
家族構成 | 父・母・弟の4人家族 |
梶原悠未の父親
引用:THE修繕
梶原悠未選手の父親は梶原典人(かじはら のりひと)さん。
現在、埼玉県にある会社の社長をしています。
父親の経歴
父親の典人さんは外壁工事会社である「THE修繕」の社長です。
もともと外壁工事のプロとしての顔を持つ典人さん。
足場を組まずにロープでつるしたブランコに座り、ビルの外壁工事などの高所作業をするのが得意です。
2019年7月に独立して「K.INNOVATION株式会社」を設立。2024年1月には「THE修繕」に会社名を変更しました。
会社のホームページには梶原悠未選手との写真があり、「娘は東京オリンピック自転車競技の銀メダリストです!」と紹介しています。
エピソード
父親の典人さんは、梶原悠未選手にボートレーサーの道を勧めたことがあります。
梶原悠未選手は1歳の頃に水泳を始め、全国大会の表彰台に上るほどの実力でした。
しかし中学3年生の時に、全国大会出場を逃してしまった梶原悠未選手。トップになれない悔しさと大きな挫折を味わいました。
そんな姿を見ていた父親の典人さんは水泳以外の道もあると考え、ボートレーサー養成所の受験を勧めたそうです。
梶原悠未選手は養成所を受験しましたが、結果は不合格。
その後、梶原悠未選手は埼玉県の筑波大学附属坂戸高校に入学。そこで自転車競技と出会います。
もし梶原悠未選手が養成所に合格していたら、自転車競技に出会わず、ボートレーサーとして活躍していた未来があったかもしれませんね。
梶原悠未の母親
引用:KOSMOST
梶原悠未選手の母親は梶原有里(かじはら ゆり)さん。
現在は梶原悠未選手のマネージャーとして、毎日の食事管理、練習のサポートや取材対応も行っています。
母親の経歴
母親の有里さんは元保育士。つまり子育てのプロです。
梶原悠未選手は幼い頃から水泳、ピアノ、書道、バレエなど多くの習い事をしていました。
母親の有里さんは子どもに夢を持つことの大切さを教え、無限大の選択肢を与えて可能性を広げたのです。
現在はマネージャーとして梶原悠未選手をサポートしている母親の有里さん。
梶原悠未選手のようなトップアスリートにとって食事はとても大切です。
母親の有里さんも食事の大切さをよく理解していて、独学でスポーツフードアドバイザーの資格を取得しました。その他にも以下のような資格を持っています。
スポーツフードマイスターアスリート栄養食インストラクターJADP認定メンタル心理上級カウンセラー |
梶原悠未選手が素晴らしいパフォーマンスを発揮できるのも、母親の有里さんのサポートがあるからだと言えます。
エピソード
梶原悠未選手が自転車競技を始めたのは、母親の有里さんの言葉がきっかけです。
小学5年生の時に北京オリンピックで金メダルを獲得した北島康介選手に憧れ、水泳でオリンピックを目指していた梶原悠未選手。
しかし中学3年生の時に全国大会出場を逃し、大きな挫折を経験します。
落ち込む梶原悠未選手を見て、「神様が『他の競技をやりなさい』って言っているのかもしれないね」と言葉をかけた有里さん。
その言葉で別の選択肢があると気づいた梶原悠未選手は、水泳部のない筑波大学附属坂戸高校に進学を決めます。
そして高校で自転車競技に出会い、梶原悠未選手は初心者ながらわずか2ヶ月でインターハイに出場しました。
2019年には最適な環境づくりのため、梶原悠未選手と一緒に母親の有里さんも静岡県に移住。
練習中は一緒にバイクで走って見守り、毎日の食事を用意するなど、全力でサポートしています。
日本国内のレースにはすべて同行し、梶原悠未選手をいつも側で支え続ける母親の有里さん。
そんな母親の有里さんの全面的なサポートがあるからこそ、梶原悠未選手は世界の舞台で活躍できるのでしょう。
参考記事:梶原悠未は年収1000万円|5つの収入源で断トツはスポンサー
梶原悠未の弟
引用:cyclowired
梶原悠未選手には1歳下の弟がいますが、名前は公表されていません。
弟は埼玉県立浦和工業高校の出身で、高校では自転車競技部に所属していました。
弟との関係
梶原悠未選手と弟はお互いの活動を応援し、支え合っています。
過去に弟が会社の内定をもらった時、梶原悠未選手は祝福の言葉をSNSに投稿していました。
2024年3月にネイションズカップで梶原悠未選手が優勝した時には、「同じ夢に向かって一緒に戦ってくれる母と弟」とSNSで感謝を伝えています。
実際に自転車競技の選手経験がある弟だからこそ、競技の専門的な話題や選手としての悩みもわかち合えるのでしょう。
同じ夢に向かって一緒に戦ってくれる弟の存在は、梶原悠未選手にとって大きな力になっているのです。
まとめ
梶原悠未選手は4人家族で、父・母・弟がいます。
父親:梶原典人(かじはら のりひと)、会社の社長母親:梶原有里(かじはら ゆり)、元保育士で現在はマネージャー弟:1歳下、自転車競技の選手経験あり |
2023年には肋骨骨折や膝の靭帯損傷など、大きなケガを経験した梶原悠未選手。
そんな大きなケガを乗り越えパリオリンピックの日本代表となった梶原悠未選手は、大会前の決意を語っています。
この3年間で地球を1周回る距離、約4万キロ以上の練習を積んでパリオリンピックに行きます。感謝の気持ちを持ってレースを走りたいと思います
静岡新聞アットエス
地球1周分の練習量を自信に変え、家族のサポートと感謝をエネルギーにして挑むパリオリンピック。
オリンピックでは梶原悠未選手の力強い走りと、金メダル獲得に注目しましょう!