梶原大暉は福翔高校と日体大出身!ダイハツ工業でわずか4年で世界一

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オリンピック

梶原大暉選手は、2024年パリパラリンピックのバドミントン日本代表です。

2021年の東京パラリンピックでは金メダルを獲得。

梶原大暉選手は福岡県出身で、福岡市立福翔高校、日本体育大学を卒業しています。

今回は、梶原大暉選手の出身高校や大学について紹介します。

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梶原大暉の出身高校

梶原大暉の出身高校
氏名梶原大暉(かじわら だいき)
生年月日2001年11月13日
年齢22歳(2024年8月現在)
所属ダイハツ工業
出身地福岡県福岡市

梶原大暉選手は「福岡市立福翔高校」の出身です。

福岡市立福翔高校

福翔高校は福岡県福岡市にある、男女共学の公立高校です。

梶原大暉の出身高校

引用:Googleマップ

福翔高校は1900年に設立された、120年以上の歴史ある伝統校。

偏差値は58。学業と部活の両方に力を入れていることが特徴です。

2018年には公立高校初の「eスポーツチーム」を創設。

伝統を守りながら、時代に合わせて新しいことにも積極的に取り組んでいます。

高校1年生でパラバドミントンと出会う

梶原大暉選手がパラバドミントンと出会ったのは、高校1年生のとき。

初めて見た瞬間、車いすでコート中を自在に駆け回る「チェアワーク」に一目惚れ。

まるで人間とは思えない動きに衝撃を受け、パラバドミントンを始めます。

そして年末には日本選手権で準優勝するという驚異的な成長を見せます。

急成長の理由3つ

急成長の理由は、梶原大暉選手はもともと野球選手であり、野球とバドミントンに共通点を見つけたからです。

具体的には以下の3つ。

手首の使い方:バドミントンでショットを打つときと、野球でボールを投げるときの動きが似ている
空間把握能力:バドミントンでシャトルの落下地点を捉える感覚と、野球でフライを捕るときの空間を把握する感覚が近い
タフなメンタル:強豪チームの厳しい練習で鍛えたメンタルの強さが、バドミントンにも活きた

早く成功するコツは、自分の経験と強みを活かすこと。

野球選手としての経験と強みを活かしたからこそ、梶原大暉選手は急成長できたのです。

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梶原大暉の出身大学

梶原大暉の出身大学

引用:パラスポ+

梶原大暉選手は「日本体育大学」の出身で、児童スポーツ教育学部に所属していました。

日本体育大学

日本体育大学は東京都世田谷区にあり、スポーツに特化した大学です。

梶原大暉の出身大学

引用:Googleマップ

卒業生にはオリンピックで活躍する多くの一流アスリートがいます。

【日本体育大学出身のアスリート】柔道:阿部一二三の兄妹バレーボール男子:髙橋藍レスリング:文田健一郎

これまでに日本代表選手が獲得したオリンピックメダルのうち、約4分の1が日本体育大学出身者によるものだそうです。

大学2年生でパラリンピック金メダル

梶原大暉選手は大学2年生のときに東京パラリンピックに出場し、シングルスで金メダル、ダブルスで銅メダルを獲得しました。

パラバドミントンを始めてからわずか4年で、世界一になったのです。

でも金メダルまでの道のりは決して順調ではありませんでした。

金メダルまでの道のり

大学進学後は、東京で一人暮らしの予定だった梶原大暉選手。

しかし新型コロナの影響で、入学式はリモート、授業もオンラインになったそうです。

そのため梶原大暉選手は上京せず、福岡に残る決断をします。

この決断が、パラバドミントンに集中できる環境を整え、東京パラリンピックでの金メダルにつながったと話しています。

悪い面だけしかないと思えることも、必ず良い面があります。

一流アスリートにはポジティブな考え方と、自分が今できることに集中するマインドが必要です。

ポジティブに考え、自分が今できることに集中したからこそ、梶原大暉選手は東京パラリンピックで金メダルを獲得できたのでしょう。

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梶原大暉の生い立ちと事故原因

梶原大暉の生い立ちと事故原因

引用:時事ドットコム

甲子園出場を目指す野球少年

小学校3年生で野球を始めた梶原大暉選手。

「野球のことばかり考えていた」と語るほど熱中し、将来は甲子園出場を目指していたそう。

中学校時代には、全国大会の出場経験もある強豪チーム「福岡ベースボールクラブ」に所属。

ピッチャーとして活躍しました。

交通事故が原因で車いすに

梶原大暉選手が車いす生活となった原因は、中学2年生のときの交通事故です。

2015年8月、全国大会の試合前日、自転車で練習に向かう途中でトラックと交通事故にあいました。

この事故により、右の太ももから下を切断し、左足にもマヒが残りました。

野球選手としての夢が絶たれ、絶望した梶原大暉選手。支えたのはチームメイトでした。

チームメイトとの絆

全国大会に出られなかった梶原大暉選手を見て、チームメイトたちは「来年は絶対に全国大会に連れて行く」と決意。

そして翌年、チームは全国大会に出場し、梶原大暉選手はスコアラーとしてベンチ入りを果たします。

苦しいときに支えてくれる仲間がいる。

梶原大暉選手にとって、何よりも大きな勇気と希望になったはずです。

「勝つことで何を伝えたいか」と聞かれ、梶原大暉選手は次のように答えました。

“諦めなかったら何かが起こる。周りの方のおかげで前を向いて諦めずに、今パラバドミントンに熱中できているのをすごく感じているところ。僕の姿を見た時に、一歩踏み出す勇気を持てるきっかけになる選手になりたいです”引用:テレ朝news

支えてくれる人への感謝を忘れず、諦めずに挑戦する姿を見せて、多くの人に勇気と希望を届ける。

そんな梶原大暉選手は、まさに一流のアスリートだといえます。

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まとめ

梶原大暉選手は福岡市立福翔高校の出身で、日本体育大学を卒業しました。

幼少期:甲子園出場を目指す野球少年中学2年生:交通事故が原因で車いす生活に高校1年生:パラバドミントンと出会う大学2年生:東京パラリンピックに出場し金メダル獲得

2024年8月現在、梶原大暉選手は世界ランキング1位&国際大会121連勝中です。

前回の東京大会では「失うものは何もない」と、挑戦者としてコートに立った梶原大暉選手。

今回のパリ大会では「絶対王者」として、シングルス&ダブルス金メダルの2冠達成に挑みます。

パラリンピックでの梶原大暉選手の活躍に注目です!