【学歴】太田海也は中山中学校|日本大学から自転車屋で衝撃出会い

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オリンピック

2024年パリオリンピックで自転車競技のエースとして出場している競技歴3年の太田海也さん

太田海也さんの出身中学校は、岡山市立中山中学校です。

出身大学は日本大学ですが、7か月で中退しています。

大学を辞めて地元の岡山県の自転車屋で衝撃的な出会いをします。

この記事では、太田海也さんの学歴や自転車屋での出会いについて詳しく調べていきます。

参考記事:太田海也の実家は岡山県岡山市|両親は子供4人を育て母由女は料理家

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太田海也の学歴

太田海也さんの出身校をまとめました。

小学校岡山県岡山市立桃丘小学校
中学校岡山市立中山中学校
高校岡山県立備前緑陽高等学校
大学日本大学(7か月で中退)

詳しく調べていきましょう。

岡山県岡山市立桃丘小学校

太田海也さんの出身小学校は岡山県岡山市立桃丘小学校です。

〒701-1221 岡山県岡山市北区芳賀5111−22

パリオリンピックの自転車競技の日本代表選手に、桃丘小学校卒業生の一人である太田海也選手が選出されました。みんなで、応援しましょう。

桃丘小学校のホームページに太田海也さんが卒業生だと記載されています。

小学校でのエピソード

幼少期は体操からスタートしました。小学1年生くらいで辞めたのですが、次に同じ敷地内でやっているレスリングを始めました。しばらくはレスリングだけをやっていて、その後はタグラグビー……ラグビーをする子たちが小学生の頃やるようなもの、を始めて、何年かレスリングとタグラグビーを掛け持ちしていました。

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太田海也さんは、小学生時代いろいろなスポーツをしています。

幼少期くるくる回るのがカッコよく見えて体操を習っていましたが、小学1年生の頃辞めました。

その後はレスリングやラグビーをやっていました。

習い事はできるだけしないでほしい」という家だったんです。本当は小学生の頃からサッカーがしたかったんですけど、親が「送り迎えができないから」という理由でできなくて。それでいろんな競技を転々としていましたね。

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小学生時代は、親に言われて習い事を始める子が多い印象がありますが、太田海也さんは自分からやりたいと親に言って習い事をしていました。

太田海也さんは、昔からずっと動いていて親に多動症なのでは?と心配されていたそうです。

小学生の頃から、体を動かすことが好きだったわけですね。

岡山市立中山中学校

太田海也さんは出身中学校を公表していません。

しかし、詳しく調査をしたところ出身中学校は岡山市立中山中学校だと分かりました。

〒701-1211 岡山県岡山市北区一宮159

小学校が岡山市立桃丘小学校ということが分かったので、岡山市のホームページで学区表を調べたところ、桃丘小学校の学生は中学校は中山中学校と記載されていました。

このことから、太田海也さんは岡山市立中山中学校に通っていたと考えられます。

中学校でのエピソード

中学に上がってからは、レスリングと並行してサッカー部に入りました。レスリングは中2で辞めて、そこからはサッカー1本にしましたが、それも3年生で一旦終わりにしました。

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太田海也さんは、中学では小学生の頃からやっていたラグビーをやめレスリングを続け、部活はサッカー部に入りました。

中学2年でレスリングは辞めて、サッカーだけに集中しました。

小学生からサッカーを続けている人ばかりで、中学からサッカーを始めたのは太田海也さんしかいなかったんですよね。

そんな環境でしたが、中学2年生の終わり頃から、レギュラーになったということは、上手になりたいと人並み以上に努力したのではないでしょうか。

太田海也さんは小さい頃から喘息持ちで、喘息を持ちながらサッカーを頑張っていたため、すごい努力家であり、中学時代から、忍耐強く頑張り屋だったのが分かりますね。

岡山県立備前緑陽高等学校

太田海也さんの出身高校は、岡山県立備前緑陽高等学校です。

〒705-0021 岡山県備前市西片上91−1

岡山県立備前緑陽高等学校は、普通科、工業科、福祉科、商業・情報科の科目を学ぶことができる総合学科の高校で、偏差値は43です。

備前緑陽高等学校には、太田海也さんが入っていたボート部やアーチェリー部、レスリング部、陶芸部や溶接部など面白そうな部活が沢山ありました。

参考記事:太田海也の実家は岡山県岡山市|両親は子供4人を育て母由女は料理家

高校でのエピソード

高校に入ったら「その高校で一番有名な部に入りたい」という気持ちと「サッカーを続けたい」という気持ちの両方があって、悩んだ結果その高校で名物の部活、ボート部を選びました。

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太田海也さんは、中学でやっていたサッカーを辞め備前緑陽高等学校で有名な部活であるボート部に入部をしました。

岡山県では競技人口が少なく、ボートは高校から始める人が多いそうで同じスタートラインだったら負ける気がしなかったのでボート部に入部したとお話していました。

高校2年の頃は、パワーがあったが技術がなく大会に出ても結果を残せなくとても悔しい思いをされています。

技術を磨いて練習を続けたおかげで、高校3年生では国民体育大会で準優勝、全国高校選抜ボート大会で準優勝という成績をおさめました。

さらに東京オリンピックに向けた県オリンピアン育成事業強化指定選手に選出され、ボート選手として将来を期待されていました。

太田海也さんは、誰にも負けないという気持ちを常に持っていて、勝つまで諦めない強い心の持ち主だなという印象を受けました。

日本大学

太田海也さんの出身大学は、日本大学です。

〒102-0074 東京都千代田区九段南4丁目8−24

日本大学は、日本最大級の規模の総合大学で、16もの学部があります。

学部によってキャンパスが違うようです。

太田海也さんが通っていた学部は公表されていませんが、日本大学にはスポーツ科学部という競技力を向上させる意思のある人が入る学部があります。

高校の時からやっていたボートの推薦で日本大学に入学したので、スポーツ科学部に通われていた可能性がありそうですね。

スポーツ科学部は三軒茶屋キャンパスで、東京都世田谷区にあります。

〒154-8513 東京都世田谷区下馬3丁目34−1

大学でのエピソード

「自分の実力では日本を超えることができないんじゃないか」と常に感じていて……世界と戦うことを目指しているのに、日本国内でも負けることが多くて、燃え尽きたような感覚があったんです。「こんなに練習してこの成果じゃあ、これ以上は望めない」と。大学のボートのシステムに馴染めなかったのも大きかったです。「この19歳、20歳をもっと濃く過ごしたい、今のままでいいのか」という想いが強かったです。別にそれはスポーツである必要もなかったのですが「今動かないと将来後悔する」と思って……自分勝手ではありますが大学を辞めました。

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太田海也さんは、東京五輪を目指すためにボート競技の強豪日本大学へ進学しました。

しかし、入学して7か月で大学を中退しました。

大学を中退した理由は、ボートを頑張ってきたけれど自分の実力では日本のトップになれない、世界なんてほど遠いと諦めたようです。

沢山悩んだそうですが、今決断をして行動しないと今後後悔することになると思いボートと大学を辞めたそうです。

ボートを頑張ってきて、良い成績も残していたのでボートを辞めるなんて勿体ないと思いましたが、この決断で、太田海也さんの未来が大きく変わりましたね。

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太田海也と自転車屋

太田海也さんは、大学を中退後地元の岡山県に戻ります。

食べていくために、日雇いで土木現場の仕事をしていました。

仕事現場まで自転車で行くことを決め、岡山市の自転車ショップに入りました。

これが、太田海也さんの転機になります。

詳しく見ていきましょう。

自転車屋での転機

当時は自転車のことを何も知らない状態だったので「30万円あれば1番良い自転車を買えるんじゃないかな?」と思って、岡山の素敵な自転車ショップに入ってみたんです、「高級そうだな〜」とか思いながら。で、入ってみたら、全ッ然買えない。悩んでいたら「若いのにどうしたの」って感じでたまたま社長に声をかけられたので、「ここで働かせてください!」って(笑)

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太田海也さんは、全財産の30万で自転車を買おうと思い自転車ショップに入りましたが、130万円の自転車に目がいきました。

どうしようか悩んでいたところ、社長に「うちのお店で働きながらお金を返していけば」と声を掛けられ「ここで働かせてください!」と言ってますね。

大学を辞めたことを話していくうちに仲良くなり、後日面接に行き就職が決まりました。

こんな流れで就職が決まることがあるんですね、驚きです。

太田海也さんは、全く自転車についての知識がありませんでしたが、働いていくうちに自転車の魅力にはまっていったわけです。

この行動力はほんとすごいなぁ…。

エピソード

太田海也さんは、働いたお金で100万を越える自転車ショップで一番高い自転車を購入しました。

購入した自転車で毎日40キロ走ったりと体力を鍛えていきました。

自転車ショップの社長に、自転車競技の大会に出場したらどうかと言われています。

「『人と競ったりするのは…』って、ボートで完全燃焼していたので『大会とかもずっと出場したくない』って社長に言っていて、恒次さんに『趣味程度で大会に出てみたら』って言われて。

TBS NEWS DIG

ボートで完全燃焼して人と競ったりすることが嫌で出場したくないと断っていましたが、趣味程度で大会に出場したところ、見事優勝しました。

競ったりすることを避けていた太田海也さんですが、人と競う自転車は面白いことに気づきま。

もっと自転車競技を追求したいと思い、2年間働いた自転車ショップを退職し競輪の世界に進みました。

太田海也さんは、高い能力が認められ養成所を早期卒業し2022年にプロの競輪選手としてデビューしました。

幼少期から色々なスポーツを経験し、高校大学ではボート競技もしていました。

今までのスポーツで培った身体や忍耐力が今の自転車競技に活かされているのではないでしょうか。

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まとめ

太田海也さんの学歴や自転車屋での出会いについて調べてきました。

  • 出身小学校は、岡山県岡山市立桃丘小学校
  • 出身中学校は、岡山市立中山中学校
  • 出身高校は、岡山県立備前緑陽高等学校
  • 出身大学は、日本大学で7か月で中退
  • 幼少期から色々なスポーツをしていた
  • 高校ではボート部に入り、五輪を目指していた
  • 大学でもボートをやっていたが、自分の実力では上にいけないと思いボートや大学を辞めた
  • 岡山市の自転車屋に就職をし、自転車にはまっていく
  • 養成所を早期卒業、2022年にプロの競輪選手デビュー

以上のことが分かりました。

太田海也さんのこれからの更なるご活躍、楽しみにしています。

2024年パリオリンピックでメダル獲得できるといいですね、応援しています。

参考記事:太田海也の実家は岡山県岡山市|両親は子供4人を育て母由女は料理家